書くが迷うが書く、梅田大丸飛び降り自殺について思うこと

どうも、助砂です。

どうしても書きたいので、今回は不謹慎と分かっていますが書かしてもらいます。

 

僕は、自分の考えを書かしてもらいます。今回は特に、なにかボケがあったりする記事ではありません。ご了承ください。

 

僕は、友人からいまツイッタ―ですごいことが起こってるからとある動画を見せられました。一人の女の人が少し経つと、ビルの上から飛び降りる衝撃映像。落ちた時の音は生々しく、初めて聞く感じの鈍い音でした。こんなにも短く単純な動画なのに、この胸に突っかかりつづける狂気と恐怖。それは、あの動画を見て約12時間たった今も変わりません。あまり年号と関連づけることもいやですが、令和に不安を抱きました。これから、マネをするひとがでるかもしれない、それは凄い小さな子供でもあり得るわけです。なぜなら、その子たちもスマホをもち、この悲惨なニュースを見れるのだから・・・

 

分かれる意見

ツイッタ―では、この自殺についての意見はかなり分かれていました。ある人は、この自殺した女の人が望んだことが達成されてよかったと言っていました。これは、その女の人に聞かないとわかりませんが、亡くなってしまっているので、もう聞くことはできません。ある人は、こんなところで死なれるのは迷惑だと言っていました。そうかもしれませんが、この女の人の心情を推測すると、一種のアピールをしたっかったのだと考えています。

ある人は、取っているスマホ撮影者が怖い、狂気であると語っていました。僕もそれは同感で、まるで歴史で習った昔の西欧の死を嘲笑する文化が、現代の日本でよみがえってしまったと思いました。ある人は、このことを動画にあげ、炎上させようとして運営に消されました。本当のバカは、この炎上させようとした人物であると確信しています。人の死を扱い、バカにするコンテンツが、youtubeで許されるはずもないだろうに。。。

まとめ

自殺というのは、日本中、世界中で起きていますが、今回のことで自分の中で確立された考えがあります。自殺の仕方をいくら工夫しみんなに知られても、誰にも知られず死んでも同じ命だし、どっちを選んでも結局何も変わらないということです。その人は、苦しみから解放されますが、社会を人間がやっていれば、何も変わりません。これはきっと、一年後のいま、このニュースは一面として扱われているか?答えはきっとノーでしょう。私は、浅ましい考えですが、自分を自殺に追い込まないことを強く決意しました。やられる側にも、やる側にも立ちたくないので。。。

私は、今回の女の人にご冥福を申し上げるとおもに、これからこの人を真似して自殺する人を少しでも減らしていってほしいと思います。